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2011年8月 7日 (日)

節電の夏~夜星を見上げながら思い返したい名言

 *これは前記事「十分暗くなれば人は星をみる」を別の記事として書いたものです。

Tg sunset 

 全国的に節電の夏。夜の繁華街のネオンや帰宅途中にあるコンビニの店内照明がいくらか控えめとなり、ふと気づくと、月明かりが自分の歩く影を地面に落としている。「月がこんなに明るいなんて」とはどれくらいぶりに思ったことだろう。
 この広大な宇宙は、あるちっぽけな惑星の局所で起こった振動のことなど何も気にかける様子もなく、その運動をただただ続けるのみである。一方、そのちっぽけな惑星の表面に這いつくばう人間は、そうした自然・宇宙が見せる姿や営みに法則を見出し、意味を与えながら強く生きてきた。今年の夏は、夜空の星々を見上げながら何か思索をしてみるのにちょうどよい機会ではないだろうか。星は人びとに多くのインスピレーションを与えてきた。きょうは「星」が出てくる名言をいくつか紹介しよう。

  「十分暗くなれば、人は星をみる」。
  “When it is dark enough, men see the stars.”  
  ───Ralph Waldo Emerson

 この言葉はサラリーマン時代から何となく書き留めていたのだが、リスクを負わず安定した会社員生活をやっているときにはあまりぴんとこなかった。そして独立して8年間が経ち、折々にこの言葉の奥深さが感じられるようになった。
 大企業のご威光と資金力のもと、白昼の明るさの中で豪勢に仕事をやっていたのとは一転、独立すると辺りはすーっと暗く恐ろしく静かになる。大企業の名刺でつながっていた人たちは音沙汰がなくなり、不安定やら、不透明やら、不遇やら、不発やら、不調やら、不信やら、不得やら、不具やら、が身の周りを覆い、独り丸裸で野宿をするような環境になる。まずは衣服になるものを探さなきゃ、火を起こさなきゃ、食うものを手当てしなきゃ、雨風をしのぐ小屋をつくらなきゃ、と日々の仕事に没頭する。そんなときに空を見上げると星がぽつりぽつり薄く輝いているのが見える。
 個人として独立して何の信用も実績もない状態になるとかえって本当の友人、本当の協力者、本当の共感者が見えてくる。暗いなかでこそ、人はものがよく見えるし、よく見ようとする。そして見えてきたものの美しさやありがたさがよくわかる。私の場合、独立したことで周辺が十分に暗くなり、ほんとうによかったと思っている。サラリーマンを続けていたら、それなりに苦労をし、多少の星を見たかもしれないが、おそらく今ほどの星々は見ていなかっただろう。

 さて、2つめの言葉───

  「目を星に向け、足を地につけよ」。
  “Keep your eyes on the stars, and your feet on the ground. ”
  ───Theodore Roosevelt

 目を星に向けながら、大地をたくましく走る。残念ながら、そうした健やかな姿で日々の仕事に向かっている人は、昨今ではむしろ少数派になってしまったのかもしれない。私が平成ニッポンのホワイトカラーでイメージするのは、みんなが横並びでエアロバイク(フィットネスクラブに置いてある自転車漕ぎマシン)に乗り、正面のメーターに目を固定させ、組織から与えられた目標回転数を維持するためにせっせと漕ぐ姿、とか、「何かいいもの落ちていないかなー」などと猫背で地面を見ながら歩いている姿である。
 私が企業の研修現場でよく耳にするのは「社内にあんなふうになりたいという魅力的な上司・経営者が見当たらない」という声だ。おそらく星を見て大地をたくましく駆けている大人の姿、つまりロールモデルが多くの組織で不足しているのだろう。しかし、若い人たちも、そうそう年上世代のせいにもしてはいられない。その下から育ってくる子供世代もまた年上世代を観察しているのだ。
 日本が、世代ごとに「安定志向」という名の精神的縮小回路に入り込まないために何ができるか、何が必要か―――それは世代に関わらず、1人1人の人間が、空を見上げ、雄大な空間に自分の星を見つけようとすることだ。そしてリスクを恐れず、保身の枠から一歩足を外へ出していくことだ。そしてそれが世の中的に「カッコイイ生き方」のイメージになっていくことだ。
 上のルーズベルト大統領の言葉の類似形で「しばしばつまずいたり転んだりするのは、星を追いながら走っているから」というのもある。つまずいたり、転んだりするのは決してカッコ悪い姿ではない。カッコ悪いのは、星も追わず転ぶことも怖がっている姿だ。かのピーター・ドラッカーも「間違いをしたことのない者は凡庸である」と言う(『現代の経営〈上〉』)。凡庸と言われようが、カッコ悪いと思われようが、「小ぢんまりと安定していたほうが人生得だ」という利己・功利主義が大多数になったとき、この国の趨勢は決定的になる。

 そして3つめの言葉―――

  「星をつかもうと手を伸ばしてもなかなかつかめないかもしれない。
  だが、星をつかもうとして泥をつかまされることはないだろう」。
  “When you reach for the stars, you may not quite get one,
  but you won't come up with handful of mud either. ”
  ───Leo Burnett

 星は遠い彼方で輝いている。容易につかめない距離にあるからこそ、人は星を夢や志に見立てる。確かに一生かかっても星はつかめないかもしれない。しかし、星を追い続ける人は、星ではないにせよ、同じようにきれいに輝く何か(宝石か、ガラス細工か、蛍か)を手にするだろう。仮にそうしたものを手にできなかったとしても、結果的に「星と共に人生があった」というかけがえのない報酬を得る。星をつかもうとする行為のなかに、すでに“ごほうび”は仕組まれているのだ。

 

 

2011年7月29日 (金)

十分暗くなれば人は星をみる


Natsu yzora 


朝晩の散歩を日課にしていると、季節の移り変わりにいやおうなしに敏感になる。

太陽の位置と角度が日一日と変わるので、地球の公転具合がよくわかる。
でも、自分がもし天動説の時代に生きていたなら、
この空の太陽や星の動きをみて、地動であることを感づいただろうか―――。

不思議なことに、冬から春にかけての変化は、朝のほうがよくわかる。
逆に、夏から秋にかけての変化は、夕方のほうがよくわかる。
7月も末になり、セミが鳴き出したきょうこのごろ、残暑の波はまだまだこれからだが、
夕暮れの多摩川にはすでに秋の気配が忍び込んでいる。

私は、燃える西の空が紅から茜に無限のグラデーションで変わっていく時間帯も好きだが、
むしろ夕焼けが色落ちするのに合わせて、
東の空から墨汁を含んだ藍鉄色が勢力を増して空を覆ってくる様子を
じっとたたずんでみているのも好きだ。
やがてその藍鉄色の中に月や一番星が浮かんでくる。

「星」が出てくる言葉で私が心に留めているものは、


   「十分暗くなれば、人は星をみる」。
    “When it is dark enough, men see the stars.”  
────Ralph Waldo Emerson


この言葉はサラリーマン時代から何となく書き留めていたのだが、

リスクを負わず安定した会社員生活をやっているときにはあまりぴんとこなかった。
そして独立して8年間が経ち、
折々にこの言葉の奥深さが感じられるようになった。

大企業のご威光と資金力のもと、白昼の明るさの中で豪勢に仕事をやっていたのとは一転、
独立すると辺りはすーっと暗く恐ろしく静かになる。
大企業の名刺でつながっていた人たちは音沙汰がなくなり、
不安定やら、不透明やら、不遇やら、不発やら、不調やら、不信やら、不得やら、不具やら
が身の周りを覆い、独り丸裸で野宿をするような環境になる。

まずは衣服になるものを探さなきゃ、火を起こさなきゃ、
食うものを手当てしなきゃ、雨風をしのぐ小屋をつくらなきゃ、と日々の仕事に没頭する。
そんなときに空を見上げると星がぽつりぽつり薄く輝いているのが見える。

個人として独立して何の信用も実績もない状態になると
かえって本当の友人、本当の協力者、本当の共感者が見えてくる。
暗いなかでこそ、人はものがよく見えるし、よく見ようとする。
そして見えてきたものの美しさやありがたさがよくわかる。

まぁ、そうして見えてきた星の美しさは美しさとして、
自分としてはいつまでも夜空を眺めているわけにはいかないので、
いつかは自分が星となり、あるいは太陽となって
夜を終わらせる気概をもって仕事に向かっている。

さて、2つめの言葉───


    「目を星に向け、足を地につけよ」。
     “Keep your eyes on the stars, and your feet on the ground. ”
                          ────Theodore Roosevelt


これの変形判で思い出したのが、
「しばしばつまずいたり転んだりするのは、星を見ながら走っているから」。
最後にもうひとつ───


   「星をつかもうとして手を伸ばしてもなかなかつかめないかもしれない。
    だが、星をつかもうとして、泥をつかまされることはないさ」。
    “When you reach for the stars, you may not quite get one,
     but you won't come up with handful of mud either. ”   ────Leo Burnett


レオ・バーネットは1950年代の米国消費社会を牽引した広告クリエーターの大物。

彼の言葉で気に入っているもうひとつは、

“I am often asked how I got into the business. I didn’t. The business got into me.”
「よく訊かれるんだ、どうやってビジネスに入り込んだのかって。
いやぁ、俺は入り込んじゃいないよ。ビジネスが向こうから入り込んできたんだ」。

バーネット自身はすでに他界したが、
「レオ・バーネット・カンパニー」という広告代理店はいまなお健在。
同社のウェブサイトは一見の価値あり。


 

2011年7月 3日 (日)

高台から自分を見つめるもう一人の自分をこしらえよ


故・長沼健さんは、往年のサッカーファンなら誰しも知る日本代表選手であり、
日本サッカー協会会長としてもご活躍された方である。
その長沼さんが書かれた
『十一人のなかの一人~サッカーに学ぶ集団の論理』 (日本生産性本部)の中に、
“ボールから一番遠いとき、何を考え何をしているか”という一節がある。


  「一試合で一人の選手がボールに直接関係している時間は、
  
合計してもわずか二分か三分といわれている。一試合が九〇分だから、
  ボールに関係していない時間が八七分から八八分という計算になる。
  ボールに直接関係しているときは、世界のトップ・クラスの選手も、
  小学校のチビッコ選手も同じように緊張し集中している。
  
技術の上下はあっても、真剣であることに変わりはない。
  ボールに直接関係していない時間の集中力が、トップ・クラスの連中はすごいのだ。
  逆にいえば、ボールに直接関係していないときの集中力のおかげで、
  いざボールに関係するときの優位を占めることができるし、
  もっている技術や体力が光を帯びることになるわけである。

  サッカー選手の質の良否を見分ける方法は比較的簡単だ。
  
ボールから遠い位置にいるとき、何を考え、どういう行動をとるかを見れば、
  ほぼその選手の能力は判断できる」。


* * * * *

ところで、いま、心理学の一分野である「メタ認知」の本を何冊か読んでいる。
メタ認知とは、自分が認知していることを認知することで、
いわば、現実に考え行動している自分を、
もう一人の自分が一段高いところから観察することをいう。

世阿弥は「離見の見」 (りけんのけん)・「目前心後」 (もくぜんしんご)と言った。
つまり、能をうまく舞うためには、
舞台を俯瞰できる場所に(想像上の)視点を置き、自分自身の舞いを客観的に眺めよ、
目は前を見ているが、心は後ろに構えておけ、と指南するのだ。
優れた舞いは、現実に舞っている自分と、
それを監視し冷静にコントロールするもう一人の自分との共同でなされるという奥義である。
世阿弥の伝えたことが、今日の心理学でいうメタ認知にほかならない。

メタ認知は、実は日ごろの仕事現場にも不可欠な能力である。
例えば、会議や商談などで「空気を読んで」適切な発言をすること。
これができるには、
その場の状況の流れを客観的な位置から感じ取るメタ認知能力が必要になる。
また、何か悪い出来事やストレス負荷のかかる状況に接したとき、
それをネガティブな思考回路にくぐらせず、ポジティブな解釈で対処するのも
メタ認知レベルの作業である。

さらには、他社の成功事例から学ぶケーススタディは、
その本質の部分を抽出して、自社に応用するという抽象化思考を行っているわけだが、
これもメタ認知活動のひとつである。
同様に、いま流行のクリティカル・シンキング(批判的思考)も、
視点を一段上げ、そこから情報の矛盾や真偽を明らかにしていくという点でメタ認知的である。

私は自分が行っているキャリア教育プログラムの中で、
「セルフ・リーダーシップ」というセクションを設けている。
セルフ・リーダーシップとは、みずからがみずからを導く(=自導)ことであるが、
これを説明するのに私は、
「現実の世界で迷い、悩み、揺らぐ自分を、
大いなる目的を覚知したもう一人の自分が導く状態」としてきた。
これはまさに、
セルフ・リーダーシップのためにはメタ認知能力が不可欠であることを言っている。

さて、冒頭の長沼さんの言葉。
結局、優れたプレーヤーというのは、
ボールが自分のところに回ってきたときだけ、
局所的・分業的に高度な技術を発揮できればよいと考える人間ではなく、
ボールがどこにあろうが、ピッチ全体を見渡す視点からゲームを眺め、
大局的な判断から献身的に、ときに犠牲的に動き回る人間のことだと言いたいのだろう。
やはりこれも、高台にいる想像上のもう一人の自分が、
ピッチでプレーする現実の自分と常に高速でやりとりをしながら、
瞬間瞬間にベストと考えるプレーを行っている姿である。

スポーツにせよ、芸術にせよ、そしてビジネス現場の仕事にせよ、
高台から自分を見つめるもう一人の自分をこしらえることは、きわめて重要な能力となる。
では、その高台のもう一人の自分をこしらえるためには、
具体的にどんなことが必要になるのか―――それは次の3つのことがあげられる。

1つめに、飽くなき向上心をもって理想の自分像を思い描くこと。
2つめに、関わるプロジェクトに関し、
大きな目的(何を目指すのか+なぜそれをやるのか)を持つこと。
3つめに、たとえ部分的に関わっていることでも、
全体の責任を担うという責任者意識、当事者意識、オーナー意識を持つこと。

これら3つを意識した高台のもう一人の自分は、
現実の自分を叱咤激励し、自分が予想もしなかった高みに引き上げてくれるにちがいない。





Skytree yakei 
「東京タワー」も「東京スカイツリー」も、
多くの東京都民にとっては“あえて”行こうと思わなければなかなか行かない場所。
ところが先日たまたまJR総武線の錦糸町駅に降り立ったら、なんと目の前にそびえていた。
東武線でしか行けないイメージがあり、少し遠いのかなぁと思っていたのだが、
錦糸町からでもこうして見られるのだから、ことのほか近いことを実感。
(写真はロッテシティホテルから)


 

2010年3月14日 (日)

描き始めなければ、描きたいものを知ることはできない

Pica msm1
パリ・ピカソ美術館にて(99年)


私はいま、次に出版を予定している自著の原稿を執筆している。
「予定」と書いたのは、
一応企画案としては出版社から「GO」をいただいているのだが、
最終的な原稿の仕上がりが版元の要求にかなうレベルに達しないかぎり、刊行にこぎつけられないからだ。

たいてい本を書くとき、おおまかな「アイデアと想い」からスタートする。
「アイデア」というのは、その本のコンセプトや切り口、ターゲット、構成といったもので、
企画書に書く企画のことだ。これは他人の目に見せることができる。
そして「想い」というのは、
「なぜ、いまこの内容を書きたいのか」「なぜ、この内容がいま読まれなければならないのか」といった
自分の内に湧きだすマグマ(エネルギー)のことだ。これは他人の目には見えない。

想いはアイデアを生み、アイデアは想いを強める。
―――この相互増幅の中で書きたいものをカタチにしてゆく。

いずれにしても、執筆の端緒にあって書き手は、
書きたいものの最終的イメージが完璧に見えているわけではない。
せいぜい「こんなようなことを、こんなふうに」程度ものだ。
(しかし“想い”は強い)

だから、私も現時点では、自分の書くものが最終的にどう仕上がるのかは全く予想がつかない。
もちろん、おおまかのイメージや方向性はある。
しかし、これまでの自著もそうであったように、たいてい最終形は自分の予想外のところに結実し、
自分をおおいに喜ばせてくれる。
(もし、すべてが予定稿どおりに進んでしまい、それで本ができたなら、そのときの喜びは激減するだろう)

編集者の方と共々に(ときに反抗しながら)、
ああでもない、こうでもないと企画を幾度も修正し、変更し、
書き上げた原稿を大幅に書き直し、推敲し、
製本されて手元に送られてきたときに初めて、
「ああ、自分はこういう本が書きたかったんだ」と感慨深く気づくことができる。

自分がこしらえた未知の創造物との出合い―――
それは本の執筆にかぎらず、仕事で挑戦的創造を行った者が得る最高の喜びである


パブロ・ピカソはこう言う。

「着想は単なる出発点にすぎない・・・
着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ・・・
描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。

           ―――『語るピカソ』ブラッサイ著、飯島耕一訳/大岡信訳(みすず書房)


どんな絵が描けるかは、描きはじめなければわからないのである。
言い方を変えれば、
キャンバスの上に筆を下し描いてみて初めて、画家は自分が描きたかったものを知ることができるのである。


私は、研修で受講者たちに思考力の足腰を鍛えるために、
何のテーマでもいいから、どれだけの人に見られようと見られまいと気にしなくていいから、
自己発信のブログを始めなさいと勧めている。

多くの人は、自分の思考が固まっていないから発信できないと言う。
いや、それは違う。
発信しないから、いつまでたっても思考が固まらないのだ。

「自分のやりたいことがわからない」という多くの若者が抱える悩みも同じだ。

仕事上のやりたいこと・目標にせよ、
人生上のやりたいこと・目標にせよ、
おおまかにでも「えいや!」で腹をくくって行動で仕掛けてみろと言いたい。
そうれば、どんどん先が見えてくる。
どんどん固まってくる。
そして、応援してくれる人も現れてくる。

自分のやりたいこと・目指すものが、見えないから行動できないのではない。
行動しないからいっこうに見えてこないだけの話である。
だから必要なのは「自分探し」ではなく「自分試し」!

Picamsm2


 

 

2009年11月29日 (日)

自分を超えていくところに、新しい自分と出合う

Kanjiro1 
京都・東山馬町「河井寛次郎記念館」にて(1)


私は地方出張の折には、たいてい滞在を伸ばして社会見学をすることにしています。
今回は京都出張でしたが、名刹紅葉観光もそこそこに、かねてから訪ねたかった二人の陶芸家の記念館に足を運びました。

二人の陶芸家とは、河井寛次郎(1890-1966)と近藤悠三(1902-1985)。お二人とも日本の陶芸界に多大な影響を与えた巨星です。

河井の言葉です。
(以下、河井の言葉は『火の誓い』より)

・「焼けてかたまれ 火の願い」
・「もうもうと煙吐いてる 火の祈祷」
・「真白に溶けてる 火の祈念」
・「撫でてかためている 火の手」
・「焚いている人が 燃えている火」
・「祈らない 祈り 仕事は祈り」
・「何ものも清めて返す火の誓い」

これら短い詩文の中に散りばめられた“祈り”だとか “誓い” だとかいう語彙。これらの語彙が河井寛次郎の内から湧出したことは、なにも、河井だけに限定されたこと、陶芸家だけに限定されたことではありません。

私は、たとえサラリーマンであっても、自分の任され仕事と真剣に向き合い、それを自分なりに咀嚼し、天職(あるいは夢・志、使命といったもの)にまで昇華させていけば、誓いや祈りという語彙が、やがて自分の身から湧き出してくるものだと確信しています。

逆に言うと、目の前の仕事を高いレベルで自分のものにし、そこに何らかの悟りをもった人であれば、上の言葉は深い味わいをもって読めることができるでしょう。

私は2年前に刊行した自著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』の中で
「真剣な仕事は“祈り”に通じる」
「真によい仕事をしたときは、必然的に哲学的・宗教的な経験をしてしまうものだ」
と書きましたが、
こうした河井の言葉は、仕事と「祈り・誓い」の結び付きを明確に示してくれるもので、私にとっては一つの邂逅であり、心強く思ったものです。

河井の言葉を続けます。

・「冬田おこす人 土見て 吾を見ず」

・「見られないものばかりだ―――見る
 されないものばかりだ―――する
 きめられたものはない―――決める」

・「自分で作っている自分
 自分で選んでいる自分」

・「この世は自分をさがしに来たところ
 この世は自分を見に来たところ
 どんな自分が見付かるか自分」

・「新しい自分が見たいのだ―――仕事する」

・「おどろいている自分に
 おどろいている自分」

・「何という大きな眼
 この景色入れている眼」

・「暮らしが仕事 仕事が暮らし」

とまぁ、このような言葉を無尽蔵に弾き出すのが河井の「いのち」です。
たぶん、本人は「いのち」の迸(ほとばし)りの何千分の一、何万分の一しか言葉として
残していないでしょうから、タイムマシンに乗って、直に本人に接触できたとしたら、多分、その烈しい「いのち」に火傷を負わされそうです。

仕事に冷めた人間は、こうした言葉を読んで、「仕事好きのワーカホリックはみんなこんなことを言う」と言い捨てるかもしれません。最後に記した「暮らしが仕事 仕事が暮らし」なんていうのも、昨今のワークライフバランス観点からすれば「バツ」でしょう。しかし、そうした見方でこれらの言葉を皮相的に排除することこそ「仕事」というものを矮小化してとらえる行為にほかなりません。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、二人め、近藤悠三の言葉です。

「ロクロやったら、ロクロが上手になる。上手になると良いロクロができにくい。つまり字をうんと勉強してやり出すと、決まった字になって味がぬけるということがありますねぇ。ロクロでもうんとやり出したら、抹茶茶碗の場合ですけど、ようないし、困ってねぇ。困らんでも、それをぬけてしもうたらいいんですけど・・・。

なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、やっぱし、それはそれだけのものでしたね。

いちばんロクロがようでけた時は調子にのるし、無我夢中になると、いつの間にか茶碗ぐらいでも三十ぐらい板に並んでいて、寸法なんかあてずに作っていても、そろうとるんですな。そしてあっと思ってるうちに三十ぐらいできてるんですな。きちんと同じに揃っているものが―――。

あとから考えたことやけど、私の手の中に土が入ってきて、勝手にできる。つまり土ができにきよる。わしが作るんと違う。そういうようなことがずうっとありましたな。四十から五十ぐらいの時かな。つまり修練ですねえ。そうして、勝手にできたものが名品かというと、そうではない。勝手にできるというところで満足してしまうと職人になってしまいますねえ」。

この一節は、作家の井上靖さんの著書『きれい寂び』の中の「近藤悠三氏のこと」という箇所で紹介されているものです。

私はこの言葉を読んで、彼の、(職人という境地を超えて)芸術家であることの魂というか執念というか剛毅な気骨を感じました。

修練や経験を重ねていって、知識的・技巧的に優れたものをアウトプットできるようになることはビジネスパーソンにとっても重要な成長ですが、しかし、その段階で満足して留まってはいけない。仕事にはその先がまだまだある。個々のビジネスパーソンにとって“その先”とは、どんなものなのか?それを考え、挑戦する意志を持てば、仕事をまっとうするという空間には無限の広がりが出てくる。そうなるとまさに、ヒポクラテスの言った「人生は短く、技芸の道は長い」に通じてきます。

この後の記事でも触れようと思っていますが、私はサラリーパーソンに対し、芸術家、あるいは芸術家という生き方をもっとロールモデルとして取り込むべきだと考えています。

芸術家は、厳しく自分を超えていくところに、つかみたい表現と出合います。あるいは、厳しく自分を超えていくところに、新しい自分と出合います。その働き様・生き様こそ、サラリーパーソンの模範とすべき姿だと思うからです。


Kanjrotei2 
「河井寛次郎記念館」にて(2)

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